結婚基礎論

今の時代なかなか大きな声では言えない「早く結婚しろ」というアドレスで登録しました。他人に迷惑をかけるわけではないし、少なくとも現代の先進国では結婚するしない・出産するしないは個人の自由です。 自由というのは自己責任ということです。自己責任といえば他人が責任を取ってはくれないということですが、自分に対して責任を負うという意味でもあります。 出産を前提とした結婚をするかどうか決断することができるのは若いうちだけですが、それによって影響を受けるのは未来の自分です。自分の未来への大きな責任を伴う決断をする際の判断材料として、このブログで考察する内容が参考になれば幸いです。 途中から読むと意味不明なので、タグ「結婚」をクリックしてなるべく「その1」から読んでください。


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2015年02月

今回は浮気の容認であるとか善悪・道徳に関するものではなく、あくまで記述的な話しであるということを最初に強調しておきます。しかし内容的に現代の道徳や価値観と相容れないので、これ以上は書かないほうが良いかもしれません・・・

結婚や恋愛、あるいは妊娠出産について回る問題として、浮気があります。浮気は多くの文明国では道徳的な罪とされ、一部の国では重罪とされています。多くの人がパートナーには浮気をして欲しくないという気持ちを持っている反面、実際には浮気性な異性が魅力的であると理解するしかないような行動をとってしまいます。
つまり見た目や社会的地位が同じ程度であっても、浮気性な人はそうでない人よりも異性にとって魅力的であることが多いということです。その分、修羅場も多いのですが・・・。

ある程度は「モテるから浮気をする(できる)ことになる」という面もあるのかもしれませんが浮気性であること自体が異性を惹きつけるという、一見矛盾した傾向にはどういった意味があるのでしょうか。

男が浮気した場合、パートナーの女にしてみれば、男の労力が分散して(相手方への養育費、あるいは自分との離婚等)自分の子供への配分が少なくなるというデメリットがあります。
女が浮気した場合、パートナーの男にしてみれば、最も大きな労力を割く子供が自分の子孫でないというリスクがあります。
このように相手の浮気はデメリットがあるのですが、相手が浮気性であること自体はメリットもあります。本能という視点に立つと、男が浮気をするということは多くの子孫を残そうとすることであり、女が浮気をするということは、(自分に宛がわれた相手よりも)より良い相手を選択するということになります。
女の場合、浮気性な男と子供を作った場合、自分の子孫はその浮気性な男の性質を受け継ぐことでより多くの子孫を残す確率が高くなります。男の場合、浮気性な女(自分の配偶者とは限らない)と子供を作れば(それが本当に自分の子供でさえあれば)、浮気性な女の性質を引き継ぐことで、より良い相手の遺伝子を求めて繁栄する可能性があります。

このようにして「繁栄した結果が現存する人間」だとするならば、男女とも「浮気性」な性格を持っている人の割合はとても多いかもしれません。

「私は誠実な男の人が好きなんです 」と言っている女性が実際には(女性から見て)クズと言われるような浮気性の男に惹かれて必死になってしまうような事例は、当該女性にとっては不愉快なことかもしれませんが、このような価値観と本能の衝突は、特に女性には多くみられることだと思います。

以前(その13)でも同じようなことを書きましたが、今回は歴史的な視点ではなく、個体の特徴という視点から背う職年齢について書いてみました。話が進むに連れて現代社会で容認されない過激な主張になっているかもしれませんが、大事なことだと思うので公開しました。一般的に結婚について悩む先進国の現代人の年齢では、特に反感が大きいかもしれません。

10代半ばまでの結婚妊娠出産、あるいは性の対象として見ること自体が先進国では禁忌され、一部ラディカルな団体に至っては、途上国での10代の結婚を阻止しようという介入まで行なっているようです。

しかし実際のところ10代半ばまでには二次性徴として月経(女)、精通(男)と共に女はスカートを短くするなどして肌を露出したくなったり寂しさに耐えるのが非常に辛くなったりするし、男は性欲に強く支配されるようになります。これらは精巣や卵巣ホルモンから分泌されるホルモンの影響によるところが大きいのですが、身体が生殖可能な状態になるとともに、生殖行動を促進するような精神作用がもたらされることは、「仕方なく起きてしまう悪いこと」なのでしょうか?
月経は女にとって煩わしく苦痛の大きなものではありますが、それが10代半ばに始まることの意味は何でしょうか。何年も(場合によっては20年以上も)使うことのない機能のための待機にしては無駄が大きすぎるのではないでしょうか。年齢が進むと、妊娠出産にとって悪いことばかりが多くなります。

最初の排卵以降、出てくる卵子は劣化するのみ(先天異常の割合が増える、妊娠しにくい)ということ、また10代の半ばまでは恥骨結合が緩く、骨盤が左右に開くことで安産になりやすいこと、先天異常の割合が20代のうちから既に上昇することは明確な事実ですが、何故かそういう事実よりも、一般的には10代では身体が成熟していないため妊娠に適さないというような、具体的根拠を伴わない警鐘が目立ちます。
先に挙げた事実は女性の社会進出や専門教育を推奨する現代の先進国の価値観と矛盾するのかもしれませんが、非科学的・独善的な思想に基く無責任な主張から自分の未来を守る必要があるかもしれません。

仮に最適な年齢が10代ではなくてもう少し遅くて20歳くらいであったとして、複数の子供を持つ場合にその「最適な年齢になってから」最初の妊娠をするのは「全体として最適な時期に」妊娠出産をしたことにはならないわけで、全体として最適とするには最適よりも前の年齢から始まる必要があります。
「妊娠出産をしていて30歳」の女性と「初めての妊娠出産で30歳」の女性が同じ条件といえるのかという問題もあります。一般的に使用すべき状況で使用されていない身体機能が必要なときに100%正常には機能しないということを、医療従事者でなくても理解している人が多いと思います。長期絶食していた患者が食事開始許可の当日にフルコースや焼肉の食べ放題に行っても良いと言うことはあり得ません。

最近、「不妊の原因の半分は男性」というのをよく目にします。男女半々の原因であるかのような印象を与えますが、実はこれは「男性のみに原因24%、男女とも原因あり24%、女性のみに原因41%」というWHOの発表を極力「政治的に正しい表現」にしたもので、実際は女性の高齢化が占める割合がかなり大きいという現実から目を逸らしています。「原因の約半分が男性」と同じ計算方法からすると、「原因の約6.5割が女性」と言わなければいけなくなってしまいます。
不妊の問題に加えて、子どもの先天的な異常(およびそれが原因と思われる大半の流産)についても、女性の高齢化による卵子の劣化が大きな要因になっています。

10代で出産するのは家庭や教育の程度が悪いということがよく言われますが、実際には「家庭が悪い」と言われるような人以外は10代での妊娠出産が容認されにくいという大きな交絡因子がありますので、10代で出産したから家庭が悪いとは言えません。

20歳前後までで出産となると教育に支障が出るという意見もありますが、親が若くて協力を得やすい(介護の必要度も低い)うちに出産してしまってから教育を受けたり専門知識を身に付けるほうが、キャリアを中断して結婚や出産を考えるよりも結果的にキャリアの点でも有利になる可能性があると思います。

そもそも男女問わず、高度な教育によって得られる「将来」というものの価値は、本当の意味での「未来」と比べて、それほど大きなものなのでしょうか。私は逆に、現代の価値観や教育制度の前提、性道徳というものが、生物としての実体と乖離していると考えたほうが合理的だと思います。

妊娠出産可能な若者が性の対象であってはならないとされる理由について、真剣かつ冷静に、人類の未来を見据えて考える必要があるのではないかと思います。個人的には、10代で子供を作る人たちというのは、時代に流されることなく生物の本質に基いて遺伝子の劣化から未来の人類を守っているのではないかと思います。

真実でない「耳当たりのよい言葉」で女性を非婚化・晩婚化・高齢出産に陥れようとするおかしな思想から、もっと多くの人が自分自身の未来を守ってほしいと思います。

一連のブログを書くに至ったことと、私の医師としての経験とは直接関係ないのですが、医師の仕事をしている中で、結婚出産を推奨したいと思うこともあります。

整形外科医としての勤務中(整形外科外来や手術)ではなく、単なる医師として全科対応の当直をしているときがほとんどですが、下記のようなケースです
・健康でない高齢者の死に対して、家族の受け入れがなかなかできない
・重篤な状態で入院する高齢者について急変の可能性を伝えた際に家族が驚く
・夜間や未明に高齢者がごく軽度の症状のために不安になって救急車で来院する

人間は認知症が酷くならない限りは一生を通じて成長する部分もありますが、生まれた瞬間から劣化も始まっています。少なくとも細胞のみずみずしさは一見して明らかです。赤ん坊が涙を流すとき、その涙は肌に触れても全く留まることなく、球になって落下します。これは決して比喩表現ではありません。また言葉の表現が拙いとはいえ、幼児の記憶力は驚異的です。体力や外傷の回復も驚くほど早いものです。
老化と寿命は有性生殖をする多細胞生物の宿命で、それを免れようという願望も古来から見られますが、全ての人に備わっていて、もしそれがなかったら世界が破綻するわけですから(原始人から古代人がそのまま生きてると現代人の暮らす余地はない)、ある意味では生物に備わった機能の一つです。

あらゆる機能と外見の美しさが失われて病気が増えて死に向かっていくだけの自分自身にとって「未来」とは明るいものではないかもしれません。明るい「未来」というのは、今後成長したり新しい命を作っていく機能を有した子孫たちにしかないわけですから、子供がいない、(年齢に達した)子供が結婚していない、孫がいないなどの場合は「明るい未来」を考えることができません。
このような場合、先に挙げたケースで病院に来られた「不治の病たる老化」に悩む高齢者や家族に対し、明るい未来を考えて不安を克服するよう説得することができません。

老化によってほぼ必然的もしくは高確率で生じる「疾患」があります。整形外科では骨粗鬆症や骨折、変形性関節症、内科で言えば動脈硬化、高血圧症、脳梗塞、認知症、便秘症、嚥下性肺炎や心不全です(特に最後の2つは多くの場合高齢者の死因となります)。

「背中の円いおばあさん」というのは実際には複数の胸腰椎(背骨)の前方が潰れて(1個1個は横から見ると楔形になって)全体として前方に曲がった形になったもので、局所的にみれば胸腰椎圧迫骨折という「疾患」です。背中が痛いといって整形外科を受診してレントゲンを撮れば、そのような「骨折」と診断されるかもしれません。
しかし、「高齢になって骨が弱くなる、背中が曲がる」というのはまさに老化そのものです。

高齢者が便秘になるのも通常は特別な異常というよりも単に老化によって消化機能が低下しているだけですし、動脈硬化も血管の内壁が硬くなって詰まったり高血圧を引き起こし、脳梗塞から認知症を生じます。高齢者の死因の上位になる嚥下性肺炎(誤嚥性肺炎)は、嚥下(物を飲み込むこと)ができなくなるために唾液や食べ物が誤って気管に入ることで(通常は肺の中に存在しない)細菌が引き起こす肺炎です。同様に心不全についても、心臓の筋肉が衰えて拡大し、ついには必要な血液を送り出すことができなくなった状態です。
これらは全て純粋な「老化そのもの」と言えなくもないので、疾患と定義して治療することで寿命や生活水準の予後を改善することはできるものの、完全に防止すること(=不老あるいは若返り)はできませんし、少なくとも病的なことではありません。

そしてまた、これらの全ての衰えの最終的な結果として生じた死(心停止)というものは、たとえそれが診断上は心不全だとか嚥下性肺炎という「疾患」によるものだとしても、ただ単に心臓が停止したという問題ではないため、心肺蘇生処置によって完全回復する可能性が非常に低くなります。一旦蘇生しても元の原因が良くなっているわけではないため、まもなく再度停止することとなります。この点、感電や胸部の打撲で「ただ単に」心停止した子供のケースとは全く異なります。後車は自動車がエンストしたような状態ですから、直ちに再始動すれば元通りになる見込みがあります。

これらのこと、命の形というものを理解しなければ、老化による必然的な死を受け入れたり、本当の未来を考えたりすることは難しいのかもしれません。そのような意味もあり、未来(子供)を残すことは重要だと思います。

今回は、仕事と結婚(出産育児)の両立についてです。ただし、極論です。
そして、このブログを見ている時点でその本人については(年齢的に)手遅れかもしれません。
年下の親戚や後輩、あるいは子供の生活設計に対するアドバイスの一つとして参考になればと思います。

現在、女性の社会進出ということが話題になることが多く、具体的には女性も社会進出すべきであるとか、女性の社会進出を(結婚出産育児のために)阻害すべきでないという意見が政治的に正しいものとされているようです。社会進出というものが本質的に何であるのかという点はさておき、自分自身の生活環と社会進出を両立するためのプランについて少し考えてみました。

社会進出という言葉は、広い意味ではただ単に家の外で労働している状態を含むのかもしれませんが、通常は何らかの専門的な知識や技術に関連する、一定の責任と地位で仕事をしている状態を指す場合のほうが多いようです。神殿の巫女などの性観念に関連する職業を除き、古来そのような役割は男が担ってきたわけですが、時代が下るに従い女の割合も増えています。

このような「社会進出」の定義に当てはまるような専門性の高い仕事であればある程、中断から復帰するのは難しくなります。このような職業の場合、出身学部にもよりますが、通常は大学(院)を出た時点での年齢が22~25くらいにはなるのが普通です。
乱暴な例えですが、ゼロから仕事を覚えてある程度使い物(者?)になるまでに数年、そしてその使い物になった知識と技術で中堅として貢献していくのに数年から10年くらい、中断することなく仕事を続けていくのが、女性活用後進国とされる日本で「社会進出」している女性の典型的なコースといったところでしょうか。
実は大学(院)卒業の時点で生物学的な出産適齢期は半分くらい過ぎてしまっているわけですが、結婚→出産するにあたってキリの良い時期というのは実際のところ、なかなかありません。
例えば医師の場合、最短で資格を取得して24歳ですが、そこから2年間の研修と3~5年程度の後期研修(認定意や専門医を取得)があって、中堅戦力ということになるわけですが、そこから地位や責任、後輩の指導などの役割が加わります。中堅になる時点で普通は30を過ぎてしまいます。
残念なことに一部では「医局の許可がないから当面は妊娠できない」などということも未だに聞かれる程、医師の世界は特に体質が古いわけですが、医療業界に関わらず、責任の大きい職業で推奨されるキャリア形成の期間内に妊娠出産育児のために仕事を中断するという選択を取ることは現実的になかなか難しいものです。

出産や育児に対する公的な支援や所属企業の支援とか周囲の理解といったものが必要なことは言うまでもありませんが、現に整っていないものを批判したところで自分自身は年々老化するだけで、誰も自分の未来に対する責任など取ってくれないのですから、自分自身でできることをするしかありません。

・強行妊娠
理解を得られない職場であることは承知の上で、自ら先陣を切って妊娠してしまう。妊娠してしまったものは仕方ない、どうにかしましょうなる。
この場合、もちろん周囲に「迷惑」と思われるかもしれませんし、一時的には戦力ダウンになりますが、そういう女性がいるということは後の女性が続きやすくなります。適齢期の出産というのが「アリ」な職場にすることで、両立を希望する女性の就職希望が増えて、結果的に戦力不足を補うことができるようになります。

・学生か、卒後間もないうちに妊娠出産してしまう
高校生(大学生)で妊娠結婚出産して、世間体が・・・と気にしつつも、まだ健康な若い親に子供育てをサポートしてもらいつつ大学受験なり就職なりをして、同学年から1~2年遅れはするものの、その後キャリアの中断で悩む必要がありません。
また、サポートすることとなる親は大きな苦労があるものの、健康なうちに孫との交流という変え難い幸福を体験できるし、親の健康が問題になることにはその孫が家族の「戦力」として、弟や妹が出生した後のサポート、祖父母の病院への付き添いなどできるかもしれません。何より、若いうちの出産は母体にとっても子供にとっても安全です。

逆に30過ぎて結婚の気配もない、あるいは結婚していても出産を考える目処が立たないとなれば、親にとっても若いうちは仕事ができて優秀で、手元にいてくれて・・・という喜びも、未来に対する不安でしかなくなってしまいます。30代になって責任が大きくなってから、仕事を取るか子供を取るかという大きな決断をしなければいけなくなります。そして、それがまず結婚からということであれば、釣り合う相手として望める範囲は大幅に制限されてしまいますし、(そのことの原因でもありますが)もはや安全な出産を当然として期待できなくなってしまいます。
さらに親が高齢になって病気がちになれば孫の世話をお願いするどころか、親の介護や病院受診の都合のために結婚や出産、育児が大変になってしまいます。これが、若く出産して世間体が気になることと比べて不幸でないと言えるのかどうか分かりません。

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