今回は浮気の容認であるとか善悪・道徳に関するものではなく、あくまで記述的な話しであるということを最初に強調しておきます。しかし内容的に現代の道徳や価値観と相容れないので、これ以上は書かないほうが良いかもしれません・・・

結婚や恋愛、あるいは妊娠出産について回る問題として、浮気があります。浮気は多くの文明国では道徳的な罪とされ、一部の国では重罪とされています。多くの人がパートナーには浮気をして欲しくないという気持ちを持っている反面、実際には浮気性な異性が魅力的であると理解するしかないような行動をとってしまいます。
つまり見た目や社会的地位が同じ程度であっても、浮気性な人はそうでない人よりも異性にとって魅力的であることが多いということです。その分、修羅場も多いのですが・・・。

ある程度は「モテるから浮気をする(できる)ことになる」という面もあるのかもしれませんが浮気性であること自体が異性を惹きつけるという、一見矛盾した傾向にはどういった意味があるのでしょうか。

男が浮気した場合、パートナーの女にしてみれば、男の労力が分散して(相手方への養育費、あるいは自分との離婚等)自分の子供への配分が少なくなるというデメリットがあります。
女が浮気した場合、パートナーの男にしてみれば、最も大きな労力を割く子供が自分の子孫でないというリスクがあります。
このように相手の浮気はデメリットがあるのですが、相手が浮気性であること自体はメリットもあります。本能という視点に立つと、男が浮気をするということは多くの子孫を残そうとすることであり、女が浮気をするということは、(自分に宛がわれた相手よりも)より良い相手を選択するということになります。
女の場合、浮気性な男と子供を作った場合、自分の子孫はその浮気性な男の性質を受け継ぐことでより多くの子孫を残す確率が高くなります。男の場合、浮気性な女(自分の配偶者とは限らない)と子供を作れば(それが本当に自分の子供でさえあれば)、浮気性な女の性質を引き継ぐことで、より良い相手の遺伝子を求めて繁栄する可能性があります。

このようにして「繁栄した結果が現存する人間」だとするならば、男女とも「浮気性」な性格を持っている人の割合はとても多いかもしれません。

「私は誠実な男の人が好きなんです 」と言っている女性が実際には(女性から見て)クズと言われるような浮気性の男に惹かれて必死になってしまうような事例は、当該女性にとっては不愉快なことかもしれませんが、このような価値観と本能の衝突は、特に女性には多くみられることだと思います。