結婚基礎論

今の時代なかなか大きな声では言えない「早く結婚しろ」というアドレスで登録しました。他人に迷惑をかけるわけではないし、少なくとも現代の先進国では結婚するしない・出産するしないは個人の自由です。 自由というのは自己責任ということです。自己責任といえば他人が責任を取ってはくれないということですが、自分に対して責任を負うという意味でもあります。 出産を前提とした結婚をするかどうか決断することができるのは若いうちだけですが、それによって影響を受けるのは未来の自分です。自分の未来への大きな責任を伴う決断をする際の判断材料として、このブログで考察する内容が参考になれば幸いです。 途中から読むと意味不明なので、タグ「結婚」をクリックしてなるべく「その1」から読んでください。


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このブログは(内容に一部同意できたとしても)未婚の女性にとって気分の良いものではないかもしれません。特に前回の記事など・・・。書いている私は男です。この場合、男対女の問題として捉えられる場合が多いと思います。

男女とも(生殖を前提とした)配偶者は異性で母は女、父は男、子供には男も女もいるかもしれないし、子孫には男も女もいます。そして配偶者以降のすべてが「自分自身の未来」です。
永遠に続く可能性のある命の中で「幸福な未来」というものを考えるとき、未来の自分(自分の未来)は男でもあるし女でもあるのに、男と女のどちらが得だとか損だといった発想、自分の性という視点・立場で考えて賛同や否定をすること自体、全く無意味です。
このブログに書いてあるいろいろなことがそれぞれ正しいかどうかは別問題ですが、「個体としての自分」という枠を超えて、男でも女でもある未来の自分のためにできることを一度ゆっくり考えてみると新しい考えが出てくると思います。


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結婚に関するブログは基本的に女性向けですが、こちらの記事は男性向けに記載しています。過去の記事と一部内容が重複しています。

一連のブログ(特に後半)を読まれて反感を持たれたり、著者の道徳観を疑う方も少なくないと思います。政治的にNGな言葉のオンパレードになってしまい(今回もですが)、内容的にもだんだんおかしな方向に向かっていてこれ以上書くのはマズそうなので、結婚シリーズはそろそろ終わりにして、問題の背景とかに関しては別のブログに分けて記載しようと思います(このブログから辿れるようにします)。

現在の晩婚化・非婚化・高齢出産に対して女性の変化が及ぼした影響はもちろん大きいのですが、男性の変化も少なからず影響していると思います。変化といっても、急激な環境の変化に振り回されているだけで、人間の性質自体が変わっているわけではないと思いますが。

前回まで主に女性が考え方を変えるべき余地がかなりあるということを書いてきたのですが、自分自身と人類の未来のために男性も少し変わらなければいけない部分があると思います。それは女性が社会進出しやすいように家事を手伝うといった細かい話ではなくて、男と女というものをどのように捉えるかという問題です。

過去の記事と重複しますが、人間は一度に出産できる数が少ない(通常一人)、出産の負担(胎児の大きさと産道の比、二足歩行など)による制約のため未熟な状態で出産せざるを得ないので育児に手がかかる、出産可能な間隔が長い等、一人の女性が出産できる子どもの数は制限されます。

その一方で、出生する男女の比率はほぼ1:1であり、過去にも大きく偏ることは無かったと考えられていること、栄養・衛生状態・医療の歴史からして生殖可能年齢を超えて生存できる割合は多く見積もっても2~3人に1人であったこと、そしてそのような状況が過去数百万年も続いていた(そうでなくなってからほんの千年単位しか経っていない)ことからして、現存する人間の先祖の女性は少なくとも、生涯に平均して4~6人くらいは出産をしていたことになると思います。
このように、現代の格差や貧困とは次元の違う過酷な環境で、しかもほとんどの人の寿命がせいぜい30ちょっとだったころから考えて、本当に驚くような数字ですが、生まれてくる子どもの半分が男性、さらにその半分以上は早く死んでいるので、これより少ない数字ですと、世代間の人口比率が1より小さくなり、数百万年の間に人口はゼロに収束しているのではないでしょうか。
実際には大きな疫病や飢饉などを乗り越えてきたことを考慮すればさらに高い出生率であったと思われます。

現代、先進国の日本では子どもの半分以上が成人前に死んでしまうような状況はとても想像ができませんが、そういったことが人類の歴史のほぼ全てといっていい程に長く続いているので、人間の性質はそのような生活(出産時期・数)に最適化された状態から大きく変化していることはないと思われます。現代のような生活環が最適なものとなるような遺伝的変化が生じるにはあまりにも年数・世代数が少ないということです。

長くなりましたが、ここまで前置きです。それで女性というものをどのように捉えてどのように行動する必要がありそうかということですが、まず「女は女としてしか生きられないようにできている」ということを前提にすると良いと思います。

思い思いの生き方を自由に選択できる性質を持っている男とは違い、女は(男に対する相補的な存在である)女としてしか生きられないようにできているようです。そのことは、女自身がどのように思うかと関係なく、また善悪や平等といった近代的な理念とも関係ないし、男女の優劣を意味するものでもなく、本人および人類の存続にとって本当に重要な性質です。
男性の皆さんは、女性の興味が食べ物と恋愛、もしくは恋愛に関連の近いものに集中しているという点を気にされたことはありませんでしょうか?
食べ物と恋愛は言うまでも無く生存と種の存続に直結するものです。最後に挙げたものは、具体的には自分自身の姿の顔貌や体型、髪型、衣類、装飾品、肌の露出度といった、少なくとも異性の関心を引く可能性がそれなりにあると客観的に了解できるもののことです。これは少女マンガの影響だけではないと思います。

もちろん先進国であれば何らかの趣味や専門知識というものを持つことが普通で、上記以外に対しても興味を持つ女性がほとんどですが、ここで挙げた物に少なからぬ興味を持つこと、その比率は男性の比ではなく、そのこだわりは幼少期から始まり、老人まで続くことも少なくありません。
男から見たら何が違うのか分からない服を選ぶ為に多くの時間を浪費することを全く惜しまない一方で、男の趣味の物や理論的・根本的な機能の違いを説明しても一蹴されてしまうことは少なくないと思います。

先に述べた出産の見積もりは、女が半分しか生まれない、大きくなる前に半分以上は死ぬという計算から最低何人産んでいたと思われるということなのですが、ここでさらに妊娠出産につながる行動に興味を示さない、参加しようとしない女性の割合がそれなりに多いとなると、30歳程度の寿命で少なくとも4~6人は産んで(さらに言えば育てて)いたという驚くべき見積もりをさらに何倍にもしなければいけなくなり、非現実的な数字になってしまいます。世界人口は1000億からスタートして現状まで減ってきたわけではないのですから、少なくとも数の点で現在人類が過去よりも繁栄しているということはつまり、「女は女としてしか生きられない」という性質があった「おかげ」であると考える他ありません。

何かについて「できない」とか、「どうしても~~してしまう」という言葉は、そうでないよりも劣った状態という印象を持たれることがあるかもしれませんが、それはそのような性質をもつ本人がどのように感じるかの問題であって、本人(および人類全体)にとって良いことか悪いことかというのはまた別問題です。これは怪我をして痛みを感じることと同じです。
女が女としてしか生きられないことは男女の優劣ということではないし、むしろ人類にとっても本人(の未来の幸福)にとっても必要不可欠で、現にそれがあったから現在の人類があるということに気付けば、女性自身ももっと肯定的になれると思います。そもそも男女の優劣ということ自体に意味がないのですが、高い所に手が届かなかったり寂しさに弱かったり急に不安定になったり、本人にとって「そうでなければ良いのに」と思うような性質も、ほとんどの女性に見られる以上、それは多数派、メジャーであり普通のことです。
若くて、生き方の選択肢がある(と思っている)時期に本当に自由に生きてしまったら、その選択肢のない中年以降で本人も困ることになります。出産が人生設計のオプションであるとして、何十万世代という先祖のうちたった一人でもそのような選択をしていたら、現在の自分は存在せず、現に自分自身が存在しているのですから、

このような観点からすると、ホルモンの影響と言われる月経前後の不安やイライラ、性欲の変動なども、必要な排卵メカニズムに「仕方なくついて回る悪い副作用」などではなくて、その性質自体が有利なものであったのではないでしょうか。それは「男にとっても」必要な人間の性質であって、その性質を女が担ってきたというだけのことだと思います。むしろ、あえてそのように振舞う「あざとさ」に対して、男が魅力を感じるということはよくあることです。

ある程度の年齢まで結婚や出産よりも専門知識や専門的な仕事を優先して「頑張ってしまっている」女性が「今は結婚よりも仕事」とあえて発言することがあったとしても、女らしさがないわけでも恋愛に関心が無いわけでもなく、「私を褒めてほしい、私のしていることを正しいと言ってほしい、認めてほしい」という「乙女的な」発想そのものである可能性もあると思います。試しに表面的な同意や共感をしてみて怒るようだったら本当に言葉通りなのかもしれませんが、それで(男性の予測に反して)喜ぶようであれば、本当は「機会あらば」と思っている可能性もありますから、額面どおりに受け取らずに自分の対象リストに入れるか、それとなく誰かを紹介する等するのが本人のためになるかもしれません。
人間の複雑さと時代背景の影響で形を変えてはいても生物としての本質はそう簡単に変わるものではないので、男性には彼女たちの「乙女」な部分を見出して自ら接近しなければいけないと思います。

女の役割について先に述べましたが、一方で男の役割は、「競争」です。長い間、女は競争する必要がありませんでした。競争といっても必ずしも現代社会で見られるような競争ではなくて、異性獲得の競争という意味です。男の闘争心が女よりも強かったり、好き勝手な生き方をしたり、危険な趣味や好奇心のために寿命を縮めたり、平気で孤独なまま死んでいくことが多いのは、それらの行動が結果的に競争で有利になる「可能性もある」ということと、失敗しても誰か他の男が(重複して)女を「獲得」したから、人類が滅びることは無かったためではないかと一般的には考えられているようです。

現在の出生率からすると、妊娠出産を希望しているほとんどすべての女性が男性に不自由しない状態にならなければ、全体あるいは局所的に人口が激減する可能性があります。つまり選ばれる側の男性全体で、女性全体を満足させる連帯責任があるのではないでしょうか。より多くの男性が「競争」に参加しなければ足りません。不倫がダメという前提であればなおさら、他に良い方法はなさそうです。

今回は浮気の容認であるとか善悪・道徳に関するものではなく、あくまで記述的な話しであるということを最初に強調しておきます。しかし内容的に現代の道徳や価値観と相容れないので、これ以上は書かないほうが良いかもしれません・・・

結婚や恋愛、あるいは妊娠出産について回る問題として、浮気があります。浮気は多くの文明国では道徳的な罪とされ、一部の国では重罪とされています。多くの人がパートナーには浮気をして欲しくないという気持ちを持っている反面、実際には浮気性な異性が魅力的であると理解するしかないような行動をとってしまいます。
つまり見た目や社会的地位が同じ程度であっても、浮気性な人はそうでない人よりも異性にとって魅力的であることが多いということです。その分、修羅場も多いのですが・・・。

ある程度は「モテるから浮気をする(できる)ことになる」という面もあるのかもしれませんが浮気性であること自体が異性を惹きつけるという、一見矛盾した傾向にはどういった意味があるのでしょうか。

男が浮気した場合、パートナーの女にしてみれば、男の労力が分散して(相手方への養育費、あるいは自分との離婚等)自分の子供への配分が少なくなるというデメリットがあります。
女が浮気した場合、パートナーの男にしてみれば、最も大きな労力を割く子供が自分の子孫でないというリスクがあります。
このように相手の浮気はデメリットがあるのですが、相手が浮気性であること自体はメリットもあります。本能という視点に立つと、男が浮気をするということは多くの子孫を残そうとすることであり、女が浮気をするということは、(自分に宛がわれた相手よりも)より良い相手を選択するということになります。
女の場合、浮気性な男と子供を作った場合、自分の子孫はその浮気性な男の性質を受け継ぐことでより多くの子孫を残す確率が高くなります。男の場合、浮気性な女(自分の配偶者とは限らない)と子供を作れば(それが本当に自分の子供でさえあれば)、浮気性な女の性質を引き継ぐことで、より良い相手の遺伝子を求めて繁栄する可能性があります。

このようにして「繁栄した結果が現存する人間」だとするならば、男女とも「浮気性」な性格を持っている人の割合はとても多いかもしれません。

「私は誠実な男の人が好きなんです 」と言っている女性が実際には(女性から見て)クズと言われるような浮気性の男に惹かれて必死になってしまうような事例は、当該女性にとっては不愉快なことかもしれませんが、このような価値観と本能の衝突は、特に女性には多くみられることだと思います。

以前(その13)でも同じようなことを書きましたが、今回は歴史的な視点ではなく、個体の特徴という視点から背う職年齢について書いてみました。話が進むに連れて現代社会で容認されない過激な主張になっているかもしれませんが、大事なことだと思うので公開しました。一般的に結婚について悩む先進国の現代人の年齢では、特に反感が大きいかもしれません。

10代半ばまでの結婚妊娠出産、あるいは性の対象として見ること自体が先進国では禁忌され、一部ラディカルな団体に至っては、途上国での10代の結婚を阻止しようという介入まで行なっているようです。

しかし実際のところ10代半ばまでには二次性徴として月経(女)、精通(男)と共に女はスカートを短くするなどして肌を露出したくなったり寂しさに耐えるのが非常に辛くなったりするし、男は性欲に強く支配されるようになります。これらは精巣や卵巣ホルモンから分泌されるホルモンの影響によるところが大きいのですが、身体が生殖可能な状態になるとともに、生殖行動を促進するような精神作用がもたらされることは、「仕方なく起きてしまう悪いこと」なのでしょうか?
月経は女にとって煩わしく苦痛の大きなものではありますが、それが10代半ばに始まることの意味は何でしょうか。何年も(場合によっては20年以上も)使うことのない機能のための待機にしては無駄が大きすぎるのではないでしょうか。年齢が進むと、妊娠出産にとって悪いことばかりが多くなります。

最初の排卵以降、出てくる卵子は劣化するのみ(先天異常の割合が増える、妊娠しにくい)ということ、また10代の半ばまでは恥骨結合が緩く、骨盤が左右に開くことで安産になりやすいこと、先天異常の割合が20代のうちから既に上昇することは明確な事実ですが、何故かそういう事実よりも、一般的には10代では身体が成熟していないため妊娠に適さないというような、具体的根拠を伴わない警鐘が目立ちます。
先に挙げた事実は女性の社会進出や専門教育を推奨する現代の先進国の価値観と矛盾するのかもしれませんが、非科学的・独善的な思想に基く無責任な主張から自分の未来を守る必要があるかもしれません。

仮に最適な年齢が10代ではなくてもう少し遅くて20歳くらいであったとして、複数の子供を持つ場合にその「最適な年齢になってから」最初の妊娠をするのは「全体として最適な時期に」妊娠出産をしたことにはならないわけで、全体として最適とするには最適よりも前の年齢から始まる必要があります。
「妊娠出産をしていて30歳」の女性と「初めての妊娠出産で30歳」の女性が同じ条件といえるのかという問題もあります。一般的に使用すべき状況で使用されていない身体機能が必要なときに100%正常には機能しないということを、医療従事者でなくても理解している人が多いと思います。長期絶食していた患者が食事開始許可の当日にフルコースや焼肉の食べ放題に行っても良いと言うことはあり得ません。

最近、「不妊の原因の半分は男性」というのをよく目にします。男女半々の原因であるかのような印象を与えますが、実はこれは「男性のみに原因24%、男女とも原因あり24%、女性のみに原因41%」というWHOの発表を極力「政治的に正しい表現」にしたもので、実際は女性の高齢化が占める割合がかなり大きいという現実から目を逸らしています。「原因の約半分が男性」と同じ計算方法からすると、「原因の約6.5割が女性」と言わなければいけなくなってしまいます。
不妊の問題に加えて、子どもの先天的な異常(およびそれが原因と思われる大半の流産)についても、女性の高齢化による卵子の劣化が大きな要因になっています。

10代で出産するのは家庭や教育の程度が悪いということがよく言われますが、実際には「家庭が悪い」と言われるような人以外は10代での妊娠出産が容認されにくいという大きな交絡因子がありますので、10代で出産したから家庭が悪いとは言えません。

20歳前後までで出産となると教育に支障が出るという意見もありますが、親が若くて協力を得やすい(介護の必要度も低い)うちに出産してしまってから教育を受けたり専門知識を身に付けるほうが、キャリアを中断して結婚や出産を考えるよりも結果的にキャリアの点でも有利になる可能性があると思います。

そもそも男女問わず、高度な教育によって得られる「将来」というものの価値は、本当の意味での「未来」と比べて、それほど大きなものなのでしょうか。私は逆に、現代の価値観や教育制度の前提、性道徳というものが、生物としての実体と乖離していると考えたほうが合理的だと思います。

妊娠出産可能な若者が性の対象であってはならないとされる理由について、真剣かつ冷静に、人類の未来を見据えて考える必要があるのではないかと思います。個人的には、10代で子供を作る人たちというのは、時代に流されることなく生物の本質に基いて遺伝子の劣化から未来の人類を守っているのではないかと思います。

真実でない「耳当たりのよい言葉」で女性を非婚化・晩婚化・高齢出産に陥れようとするおかしな思想から、もっと多くの人が自分自身の未来を守ってほしいと思います。

一連のブログを書くに至ったことと、私の医師としての経験とは直接関係ないのですが、医師の仕事をしている中で、結婚出産を推奨したいと思うこともあります。

整形外科医としての勤務中(整形外科外来や手術)ではなく、単なる医師として全科対応の当直をしているときがほとんどですが、下記のようなケースです
・健康でない高齢者の死に対して、家族の受け入れがなかなかできない
・重篤な状態で入院する高齢者について急変の可能性を伝えた際に家族が驚く
・夜間や未明に高齢者がごく軽度の症状のために不安になって救急車で来院する

人間は認知症が酷くならない限りは一生を通じて成長する部分もありますが、生まれた瞬間から劣化も始まっています。少なくとも細胞のみずみずしさは一見して明らかです。赤ん坊が涙を流すとき、その涙は肌に触れても全く留まることなく、球になって落下します。これは決して比喩表現ではありません。また言葉の表現が拙いとはいえ、幼児の記憶力は驚異的です。体力や外傷の回復も驚くほど早いものです。
老化と寿命は有性生殖をする多細胞生物の宿命で、それを免れようという願望も古来から見られますが、全ての人に備わっていて、もしそれがなかったら世界が破綻するわけですから(原始人から古代人がそのまま生きてると現代人の暮らす余地はない)、ある意味では生物に備わった機能の一つです。

あらゆる機能と外見の美しさが失われて病気が増えて死に向かっていくだけの自分自身にとって「未来」とは明るいものではないかもしれません。明るい「未来」というのは、今後成長したり新しい命を作っていく機能を有した子孫たちにしかないわけですから、子供がいない、(年齢に達した)子供が結婚していない、孫がいないなどの場合は「明るい未来」を考えることができません。
このような場合、先に挙げたケースで病院に来られた「不治の病たる老化」に悩む高齢者や家族に対し、明るい未来を考えて不安を克服するよう説得することができません。

老化によってほぼ必然的もしくは高確率で生じる「疾患」があります。整形外科では骨粗鬆症や骨折、変形性関節症、内科で言えば動脈硬化、高血圧症、脳梗塞、認知症、便秘症、嚥下性肺炎や心不全です(特に最後の2つは多くの場合高齢者の死因となります)。

「背中の円いおばあさん」というのは実際には複数の胸腰椎(背骨)の前方が潰れて(1個1個は横から見ると楔形になって)全体として前方に曲がった形になったもので、局所的にみれば胸腰椎圧迫骨折という「疾患」です。背中が痛いといって整形外科を受診してレントゲンを撮れば、そのような「骨折」と診断されるかもしれません。
しかし、「高齢になって骨が弱くなる、背中が曲がる」というのはまさに老化そのものです。

高齢者が便秘になるのも通常は特別な異常というよりも単に老化によって消化機能が低下しているだけですし、動脈硬化も血管の内壁が硬くなって詰まったり高血圧を引き起こし、脳梗塞から認知症を生じます。高齢者の死因の上位になる嚥下性肺炎(誤嚥性肺炎)は、嚥下(物を飲み込むこと)ができなくなるために唾液や食べ物が誤って気管に入ることで(通常は肺の中に存在しない)細菌が引き起こす肺炎です。同様に心不全についても、心臓の筋肉が衰えて拡大し、ついには必要な血液を送り出すことができなくなった状態です。
これらは全て純粋な「老化そのもの」と言えなくもないので、疾患と定義して治療することで寿命や生活水準の予後を改善することはできるものの、完全に防止すること(=不老あるいは若返り)はできませんし、少なくとも病的なことではありません。

そしてまた、これらの全ての衰えの最終的な結果として生じた死(心停止)というものは、たとえそれが診断上は心不全だとか嚥下性肺炎という「疾患」によるものだとしても、ただ単に心臓が停止したという問題ではないため、心肺蘇生処置によって完全回復する可能性が非常に低くなります。一旦蘇生しても元の原因が良くなっているわけではないため、まもなく再度停止することとなります。この点、感電や胸部の打撲で「ただ単に」心停止した子供のケースとは全く異なります。後車は自動車がエンストしたような状態ですから、直ちに再始動すれば元通りになる見込みがあります。

これらのこと、命の形というものを理解しなければ、老化による必然的な死を受け入れたり、本当の未来を考えたりすることは難しいのかもしれません。そのような意味もあり、未来(子供)を残すことは重要だと思います。

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